結論から言うと私は箱根駅伝に出ることが出来ませんでした。
また大学の陸上部に入ることすらできませんでした。今の自分から過去の自分に伝えたい事として、練習方法などの技術的なものを除くと、もっと自分を信じて厳しい環境に飛び込んでほしいということです。
私は中学1年の時に陸上部に入り長距離を始めました。そのころからの夢は箱根駅伝に出ることでした。
中学生のころは何をどのくらい頑張ればよいのか分からず、何も考えずに走っていました。
高校に入りもちろん陸上部に入部しました。高校では中学とは違い私にとってはとても厳しい練習の毎日でした。
そのような環境の中で、練習が自分に合わなかったり、自分の考え方が間違っていて、記録が思うように伸びませんでした。
私の高校時代の5000mの自己ベストは16分22秒で、大学で陸上部に入部できるレベルには届きませんでした。当然ながら入部も断られてしまいました。
しかし夢をあきらめきれず、5000mを14分台で走れるようになったらもう一度入部のお願いをしようと決めました。
大学2年の秋に5000mを15分32秒で走りましたが、そこからなかなか伸びずに、ついに大学3年の1月になってしまい、こうなったら力不足ではあるけれども、入部希望の手紙を出して入部をさせてもらうしかないと思い手紙を出し、後日お会いしてお話しをしました。
すると意外にも監督やコーチは私の入部を前向きに考えてくれているようで、 入部をするかしないかは関係なく、とりあえず練習を見学することになりました。
見学のあとに監督とメールで連絡をとりました。
その中で、私のように途中から入部をすることに対し難しい意見が上級生(おそらく私と同学年方々だと思います)からあり、そのなかで即戦力になる走力が必要という意見があるとのことでした。
このときに私は即戦力になる自信がなくてあきらめてしまいました。
そのときは3年の3月で次は4年というときなので、その時期に5000m15分32秒の私が入部をしたいといっても難しいということは当たり前です。
私は5000m16分22秒で大学に入学をしたときに入部をことわられ、あきらめそうになりましたが、何とかあきらめずに続けました。また調子が悪い時やなかなか記録を更新できないときもあきらめずに続けました。
しかし、いざ選手たちに覚悟を問われたときに自分を信じることが出来なくなってしまい、ついに入部をあきらめてしまいました。
今考えるとあの時に、厳しい環境ではあるけれども飛び込むべきだったのかもしれないとも思うときがあります。
私が言いたい事は、未来に不安があっても自分を信じて進むことも大切ということと、あまり慎重になりすぎずに行動は早めにする方が良いということです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
5000m16分台から本気で箱根駅伝を目指した話
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執筆者:yusuke